「建築家のひとは必ず〜」というフレーズについて

投稿の中に上記のようなフレーズがありましたが、若干危険なフレーズだと思いました。

たしかに建築家とよばれるひとの多くが、環境性能などを無視した設計をしているかもしれませんし、ひどい場合は、無視しているにも関わらず「これが環境建築だ」と言っている場合もあります。

しかし、ここで僕らのような「環境」と「建築デザイン」の融合を試みようしているひとたちが「だから建築家は何もわかっていないんだ」と切り捨ててしまってはいけないと思うのです。

環境エンジニアの立場からして、それがどれだけありえないことだとしても、その設計者は何かしらの考えのもとそういうデザインを選びとっているわけです。なぜ設計者がそうしたいと考えるのか理解しようとしないから(その逆も然り)相変わらず意匠系と環境系の溝は深いままなのです。

今回の白熱球の議論や先日の石上純也のKAI工房の議論に共通して言える問題な気がします。環境とデザインの融合を考えるときに、もし絶対的な「正解」があるとしたら、それに未来はないでしょう。

今回の前スタジオテーマは「環境建築の脱構築」ですが、それは「環境」の建築デザインの中での新たなというか本来あるべき立ち位置を見極めることだと思っています。定量的な検証によって「これは絶対に間違っている。こっちが絶対に正しい」と言うことが目的ではないはずです。定量的な検証の後に、では、どう建築デザインとバランスさせるか、が腕の見せ所だと思うのです。

いかがでしょうか。

(川島範久)